イタリア北部アルプス―凍てつく氷河の中に墓をこしらえ、彼は5,300年もの間眠っていた。彼は石器時代を生きた戦士であり、その証拠に遺体の側には毛皮のローブ、皮の靴そして弓矢が沿えられていた。
彼は、1991年イタリアとオーストリアの国境付近の氷河で発見されてた。以後彼はアイスマン「エッツィ(Oetzi)」と呼ばれるようになった。しかし彼の調査に関わった5人の人間が次々と死んでいった。―まるでアイスマンが呪いをかけているかのように。
インスブルック大学アイスマン調査班長コンラッド・スピンドラーさんが今月16日に亡くなった。多発性硬化症による合併症だった。スピンドラー氏が66歳ということから、この病気にかかって亡くなることは特に珍しいことではないが、アイスマンの調査に携わって来た人物が次々と死んでいくのを見て「呪い」を連想するのは致し方ないのかもしれない。
スピンドラー氏は主にアイスマンの遺体の調査を行なっていた。彼も勿論"アイスマンの呪い"について知っていたし、眠りを妨げられたアイスマンが怒っているのだという憶測にも賛同していた。彼は生前「次は私かな。」などとジョークを言っていたが、それが現実のものとなってしまった。
犠牲者の一人、科学捜査のエキスパート、ライナー・ヘン博士は、発見されたアイスマンを素手で遺体袋に移した人物である。その彼は交通事故で亡くなっている。
登山家で、捜査班のガイドをしていたカート・フリッツさんは、遺体のヘリでの搬送を担っていた。その彼も熟知していたはずの登山ルートで雪崩に巻き込まれて亡くなってしまった。不思議なことに一緒に雪崩に巻き込まれた数人の登山家は誰一人として死ななかった。
そして、アイスマンの遺体修復作業を撮影したジャーナリストのライナー・ホエルズさんは、脳腫瘍により亡くなっている。
4人目の犠牲者はアイスマンの第一発見者であるヘルムート・シモンさんであった。1991年に妻と2人で登山に来ていたシモン氏は偶然アイスマンを発見したのだった。しかし、シモン氏は第一発見者であるにもかかわらず報奨金や何の評価もしてもらえないことには憤りを感じていたのだそうだ。
去年10月、そんな彼が登山に行ったきり帰ってこないため、捜索願が出された。捜索8日目に90mの崖下で彼の遺体が発見された。彼はアイスマンを想起させるかのように、薄い氷と雪に包まれて死んでいたのだそうだ。
また、6番目の犠牲者として、シモン氏の遺体発見に貢献したディエター・ワルネッケさんの名前が挙がっている。シモン氏の葬儀に出席後、彼もまた心臓発作でなくなっている。
悲運や深い悲しみの念を伴うことで、そこで起こる事象全てがあたかも「呪い」かのように捉えられているが、しかし一見すると自然死や不慮の事故、不運が重なっただけのようにも思える。
【source】Scientist seen as latest 'victim' of Iceman(Guardian Unlimited)
【see also】- アイスマンのDNA解析(法医学鑑定の話題)
- 5000年ミステリー アイスマンはなぜ死んだ?(アンビリバボー)
- 「アイスマン」(Wikipedia)
- 「アイスマン」(Google検索)
- ツタンカーメンの呪いは墓の毒が原因?(ブログ内)

